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スワヤンブナート寺院(ネパール) |
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今回は長いんです。題して『カトマンズエイズ騒動』 1993年の10月、ぼくはカトマンズにいました。その数年後、猿岩石(最近は手裏剣トリオとかいうらしい)が泊まることとなったナントカホテルに逗留し、昼近くに起きて近所のカフェでモーニングセットをゆっくり食べて午後からは気の向くままにブラブラ、カトマンズでの旅行者はこうあるべきという、大変のんべんだらりとした充実の毎日を過ごしていました。 ある日、今回のモチーフとなったモンキーテンプル(正式名称はスワヤンブナート寺院であることを今回初めて知りました)に行こうと例によって裏道をだらだら歩いていたところ、道ばたでたいへんおいしそうな揚げたてドーナツ屋さんを見つけました。『道ばたで売ってる揚げ物の油はヤバイ』というのが、このへんの国を旅行するときの常識ではあるのですが、文字通り油断したというべきか魔がさしたというべきか、ついふらふらと引き寄せられ、パクパクとたいらげてしまいました。思えばこれが悪夢の始まりでした。 翌朝、いつものように遅くに目覚めたぼくは、どうもいつもとは体の調子が違うのに気付きました。さては昨晩飲み過ぎたかなと思って、とりあえず顔を洗いに行こうとしましたが、その時猛烈な便意が体中を駆け抜けました。やってしまった、お約束の下痢です。それまでにも何度かお腹の具合は壊していたのですが、今回のは桁外れに強烈なヤツで、それから30分おきに部屋とトイレの往復。ちょっと回復したと思って水分補給をすると、5分後には下からジャー、という生活が一週間近くも続きました。知り合った旅行者がたまたま顔を出しててくれなかったら、干からびて死んでたかも。一週間経って、さすがにこれは自然治癒力じゃ直らないかもと思い医者に行きました。この時ばかりは言い値でリキシャに乗りました。 けっこう大きな病院に連れていってもらって、60代くらいのお医者さんに診てもらいました。触診が一通りすんだあと、お医者さんはカルテを広げていろいろ何やら書き込み始めました。しばらく考え込んだ後、不安そうにベッドに腰掛けているぼくに英語で尋ねます。 医者『ナショナリティ?(国籍は?)』 ぼく『ジャ、ジャパンです。』 それからしばらくして、医者『ネイム?(名前は?)』 ぼく『ケ、ケイスケ・サカです』 今度はずいぶん間をおいて、医者『エイズ』 ぼく『・・・・?』 もう一回医者『エイズ』 ぼく『!☆◇?△※』 いったい何を言ってるんだろうこのヒトは?と思いながらも、ぼくの頭の中はいろんなことが渦巻きます。『エイズって食い物で移るんだっけ』『親はどんな顔するだろう』『ネパールで入院すんのかな』『保険はちゃんと入ってたっけ』などなど・・・この間0.5秒。ホントにまったく全然(強調しておかないと)心当たりのなかったぼくは、気を取り直してもう一回聞き直しました。『エイズ?』。すると医者は、なんでこんな英語がわからんのだこの日本人はというような顔をしてカルテを指さしながら『イエス、エイズ』と答えます。恐る恐る指先をのぞき込んでみると、そこにはアルファベットでしっかりA・G ・Eの文字が。 おーい、それってエイズじゃなくてエイジじゃん。大事なところでなまってるんじゃないよ。『てっきりA・I・D・Sかと思った』といって横にスペルを書くと、ネパール人医師は看護婦を呼んで大笑いをしていやがりました。よく考えてみれば、国籍、名前とくればその次は年齢尋ねるのは当たり前なんですが、体が弱っていると頭も回りません。 病名は結局ただの食あたりで、お薬を処方してもらって2日ほど寝てると体調もすっかり快復しました。快気祝いに奮発して食べた日本食のおいしかったこと。この強烈な下痢のおかげでぼくはすっかり免疫がつき、次に向かったインドでも、その辺の屋台モノを手づかみでガンガン食べても決してお腹をこわさない、たいへん便利な体になりました。よかったよかった。世話になったお医者さん、ありがとうございました。みなさんも、道ばたの食べ物となまった英語にはくれぐれも気を付けましょう。 |
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